vol.3 “よろしかったら”
「1万円からお預かりいたします」
「これで、よろしかったでしょうか?」
私は1万円をレジに預けるつもりはありませんし、
ましてオーダーは進行中なのですから、
本当ならば「これで、よろしいでしょうか?」が正しいと思うのですが…。
有名レストランで、パンとバターが置かれました。
「よろしかったら、このバターはこのパンにつけてお召し上がりください」、
次にデザートのプリンが出ると、
「よろしかったら、このスプーンでお召し上がりください」
…客をバカにしたような説明と、
会話の先に必ず付ける“よろしかったら”が耳障りです。
あるデパートの婦人服売り場の出来事です。
Mサイズしか見当たりません。
「Lサイズがないのですが?」と尋ねると、
「見てまいります」と店員はどこかへ行き、しばらくして帰ってくると、
「Lサイズはございました」
「では、それを試着させてください」
「エッ?」
「エッ?」
なんと店員は見てきただけで、
手ぶらで戻って来ていたのです。
そして「よろしかったら、Mサイズをお試しください」あきれて、
その場を離れました。
最近は、何も考えず、当たり前のことを言う人が増えたように思います。
「これはウエストがゴムで楽でございます」
「この白い色は、何色とも合わせられます」
「これは大きなバックで、何でもたくさん入ります」
大人の私は、次のように言い返します。
「ほかにコメントはないのですか?」
「エッ!」
やはり無駄のようでした。
ウインドーの美しい靴に一目惚れをして、店の中に入り、
「あの靴の24.5cmのサイズはありますか?」と尋ねました。
しばらくすると靴箱を持って現れた店員は
「お客様、23.5cmのサイズしかありませんでしたが、
よろしかったら、お試しください」
大は小を兼ねますが、靴に関しては、小が大を兼ねないことを、
靴屋の店員が知らないなんてあきれます。
あるレストランで、メニューの内容を聞きながら
“本日のデザート”について尋ねました。
「“本日のデザート”は何ですか?」
「はい、“本日のデザート”でございます」
「ハァ~」
意味が分かりません。
エレベーターが満員のとき、奥の方にいる人が降りる時は、
通常「すみません、降ります」
「どうも、ありがとう」と乗り合った方々に声を掛けますが、
最近は、肩で前の人を押し分け、何も言わずに出て行きます。
好意でボタンを押し続けている人は、
きっととても嫌な気分になっているでしょうね。
泣き続けた子供の治療が、やっと終わりました。
「A君、頑張ったね。治ったよ」と私はA君に声を掛けましたが、
A君のお母さんは「痛かったね~。偉かったね~」と、
本当に偉い私を無視して、「お世話さま~」と帰って行きました。
A君のお母さんは「お世話さま~」という言葉が、
お礼の言葉だと思っているのでしょうか。
私はA君のお世話をしたのではなく、治療をしたのです。
最近の若い子は、謝る言葉を知りません。
昼休みが終わり外から戻ると、ワインの匂いが充満しています。
「どうかしたの?」
「何か、ワインが落ちたみたいです」
「ワインが自分から落ちたの。そばに誰かいたの?」
「私です」
「じゃあどうしたら、ワインが落ちたの?」
「私が物を避けようとしたら、落ちました」
「あなたが落としたのでしょう! 言い方を変えなさい!」
「私の不注意でワインを落としてしまいました。申し訳ありません」
「そうです! 初めから、きちんと謝りなさい!」
例に挙げた話は、会話とは言えないおそまつなものばかりですが、
最近はこんな話ばかりで、気分がよろしくありません。
人の話をしっかり聞き、もしくは人の言動をしっかり観察し、
その人が何を望み、
考えているかを見極める集中力がなくなってきているようです。
これは、ファーストフードやコンビニの店員たちの
対応のマニュアル化が一般にも浸透しはじめたことや、
小さい時からの親子関係の会話不足、ゲームが相手で友人間のけんかの減少、
そして本を読まなくなったことが原因と思われます。
恋愛をしている時は、相手の一言が気になったり、
自分の一言を反省して、夜も眠れないくらい相手を
理解しようと努力した事を思い出してください。
言葉の使い方や意味を理解して、心の通う会話をし、
相手の思いを探りながら言葉を紡げば、
世の中はもう少し心があたたかくなり、
優しくなり、楽しくなるはずなのですがね!
よろしかったら、楽しい会話(それをウィットと言います)を
ちりばめせんか?!