アンチエイジングコラム
日本アンチエイジング歯科学会誌に掲載されたコラムです。
≪よろしかったら『会話美人』です≫
「1万円からお預かり致します」「これでよろしかったでしょうか?」
私は1万円をレジに預けるつもりはありませんので、
この場合は「1万円ですね」でよろしいかと、
ましてオーダーは現在進行中なのですから「これでよろしいでしょうか?」が正しいとおもうのですが・・・。
有名レストランで、最初にバターとパンが置かれました。
「よろしかったら、このバターはこのパンにつけてお召し上がり下さい。」
最後にデザートのプリンが出ると「よろしかったら、このスプーンで召し上がり下さい」
とスプーンしか置いていないテーブルのスプーンを指しました。
客をバカにしたような説明と、会話の先に必ず付ける
「よろしかったら・・・」が耳障りです。
あるデパートの婦人服売り場の出来事です。
SとMサイズしか見当たりません。
「Lサイズはないのですか?」と尋ねると、「見てまいります」と店員はどこかへ行き、
しばらくして帰ってくると「Lサイズはございました」
「ではそれを試着させてください」
「エッ?」
「エッ!」
なんと店員は見てきただけで、手ぶらで戻って来ていたのです。
そして悪びれずに「よろしかったら、Mサイズをお試しください」といいました。
私はあきれてその場を離れました。
ウインドウの美しい靴に一目惚れをして、店の中に入り
「あの靴の24.5cmのサイズはありますか?」と尋ねました。
しばらくして奥から靴箱を持って現れた店員は
「お客様、23.5cmのサイズしかありませんでしたが、よろしかったらお試しください。」
大は小を兼ねますが、靴に関しては小が大を兼ねないことを靴屋の店員が知らないなんてあきれます。
エレベーターが満員のとき、奥のほうにいる方が降りる場合、
通常は「すみません、降ります」「どうもありがとう」と乗り合った方々に声を掛けて降りますが、
最近は、肩で前の人を押し分け、何もいわずに出て行きます。
好意でボタンを押し続けている人は、きっととても嫌な気分になっているでしょうね。
泣き続けた子供の治療が、やっと終わりました。
「A君、頑張ったね。終わったよ」と私はA君に声を掛けましたが、
A君のお母さんは「痛かったねぇ~。偉かったねぁ~」と、
本当に偉いのは私なのに。
「お世話さま~」と私を無視して帰って行きました。
A君のお母さんは「お世話さま~」という言葉がお礼の言葉だと思っているのでしょうか?
私はA君にお世話をしたのではなく、治療をしたのです。
「先生、どうもありがとうございました。Aちゃんもちゃんとお礼をいいましょう。
ハイ!お礼は!!」なんていわれたら、嬉し泣きしてしまいます。
お礼の言葉もそうですが、最近の若い子は謝る言葉も知りません。
昼休みが終わり外出から戻ると、ワインの匂いが充満しています。
「どうしたの?「何かワインが落ちたみたいです」
「ワインが自分から落ちたの?そばに誰かいたの?」「私です」
「じゃあどうしたら、どんなときにワインが落ちたの?」
「私が物を避けようとしたとき、落ちました」
「それじゃあ、あなたが落としたのでしょう!言い方を変えなさい!」
「私の不注意でワインを落としてしまいました。申し訳ありません」
「初めから、そのようにきちんと謝りなさい!」
例に挙げた話は会話とはいえないおそまつなものばかりですが、
最近はこんな話ばかりで気分がよろしくありません。
人の話をしっかり聞いたり、もしくは人の行動を注意深く観察し、
その人が何の望み、何を考えているかを見極める集中力もなくなってきているようです。
これはファーストフードやコンビニの店員達の対応マニュアル化が一般にまで
浸透し始めたことや、小さいときから親子間の会話不足や、ゲームが遊び相手で、
友人との喧嘩の減少、本を読まなくなったことが原因と思われます。
言葉の使い方や意味を理解して、相手の思いを探りながら言葉を紡げば、
もう少し心の通う温かい会話が成り立つように思えます。
それにもう1つ、正しい会話に加えて大切なものが、声の質です。
明るく優しい声を発する人は、顔の表情まで美しく見えます。
以前、目の見えない方の治療をしていると、
その方が、「先生は美しい方ですね」と突然いわれました。
驚きながらも私には心当たりがありました。
つまり、目が不自由なので、その分分かりやすく、丁寧に説明し、
ほんの少し先まわりをした会話をしていたのです。
きっとこのときの私の声は“声だけ美人”だったのかもしれませんが。
この経験以降、会話の内容に加えて、声の出し方にも気を配るようになりました。
・・・・・・・
よろしかったら、もう少し『会話』というものに心を使ってみませんか?