天ママStyle vol.89 “ゆとり君”
埼玉の診療所は娘がいなくなったため、新しい歯科医師が入ってきました。大学の保存科に残っていた彼はおだやかで、ゆったりとした雰囲気で、すぐにファンになる患者さんが増えそうです。
1カ月が過ぎました。おやおや、何も出来ません。
確かに根治は危なげなくやりこなしますが、その他がひどい!
「君、何か出来ないことある?」と嫌味を言ったつもりが、「僕ですか? 何でも出来ますヨ!」と自信たっぷりの返答…ホンマかいな…
形成をさせると、スライスカットが出来ない、アンダーカットだらけ、マージンがガタガタ…。印象を採っても、すぐに気泡の有無を見もしない。最悪なのは、出来た石膏模型の確認さえもしない。
気泡やマージンの不明が、技工士さんを困らせる事になるなんて、まったく気にもしていない。
よくよく聞いてみると、上手な形成と下手な形成の意味が分からないらしい事に気が付いた。
彼の模型の気泡を見つけて「やり直し!」と言おうものなら、「エッ、どこに気泡があるんですか?」。スライスカットが出来てない事を注意すると、「そうですかねぇ~、へぇ~」。
おいおい、その上から目線の返事はおかしいゾ!
仕方がないので、いちいちメモ用紙に図で示したり、注意書きを書いたりして説明をする。ところが次の日に行くと、私が書いたメモ用紙は、まったくその机のその場に置かれたまま、つまり散らかったままの机の上に放置されている。
「おまえはB型か!」 「いいえA型です!」
こういうのをゆとり世代というらしい。
親からも先生からも怒られた事も叱られた事もなく、つまり、面倒な干渉をされた事がないので、何が正しいのか、悪いのか、上手なのか、下手なのか、極端にいえば、コンビニ育ち世代のため、食事の味さえ判断できず、要するに判断する必要もなく育ち、言われた事をやり、その結果の責任を問われた事もないので、全てがなんとなく過ぎていく…
金持ちになりたいという野望やいい車が欲しいなんてとんでもない事で、海外だって行きたくない。
“夢”とか“希望”って叶わないから、“夢”とか“希望”っていうんですよね。
そうだったっけ???
こんな感じだから、治療も患者さんから「抜かないで!」と言われれば、たとえグラグラでバキュームを当てたら吸い込んでしまいそうな歯でも残したり(こうなると下手とか、言いなりというより、神技!)、「とりあえず噛めるように」と言われれば、律儀に保険の銀歯を入れて、咬合調整はもちろん「高いです、高いです」の返答をメドに削り過ぎ、その削り過ぎに気が付かず…
挙句の果てが、患者さんがまた来てくださるかどうかばかりが気になり、治療内容が正しいかどうかという事よりも、上手か下手かという事よりも、話術で勝負する、そんな歯科医師になってしまうよ、ゆとり君!!
私以上に人を見る目を持つスタッフのボスが、こう言った。
「院長、何も言ってはいけません。人柄はいい方なのですから、とりあえずいてくださるだけでいいじゃあないですか…」「はい」
世の中は変わったんですね。
私は諸事情で30歳で歯学部へ入学し、卒業した時は36歳でした。同級生と10年の差がありましたので、卒業してからは必死でした。“上手くなりたい”“儲けたい”はもちろんのこと、“立派な歯科医師になりたい”“オールマイティな開業医になりたい”とがむしゃらに働きました。
そして、私が入れた歯で女優のように美しくなり、私が入れた義歯で健康を取り戻し、笑顔が若くなり、私がやった咬合調整で肩こりが治り、更年期障害が軽減し、ゴルフがうまくなり、ホームランを量産するようになる…
そんな患者さんに喜んでいただける立派な歯科医師になろうと一生懸命勉強しました。
若い歯科医師諸君!
君のこれからの歯科医師人生は長いですよ。結婚をし、家族を持てば、背負う人生は長い上に重くなります。時には辛くめげそうにもなりますよ。
そんな時にこそ、自らの目標をしっかり持って、立派な歯科医師をめざしてください。
もしかして、「立派って、どんな事を言うのですか?」ってゆとり君から聞かれそうですね。答えは、「私のような歯科医師の事を言います!!」と答えたら、きっと、ゆとり君は訳が分からなくて、笑うか、当医院を辞めてしまうかも…
だから当分は何も言わず、これからも何も言わず、ゆとり君の動向を楽しんでみる事にします。